天然循環法・・・・いのちの源「カムの世界」との循環


まずはカタカムナの世界観を学ぼう

「天然循環法」という言葉は、世界広しといえど木の花をおいて他にはありません。

そして、「天然循環法」を語るとき、カタカムナの世界観を抜きには語れません。右図「カタカムナにみる宇宙の仕組み」を参照して下さい。

 

「見える世界」と「見えない世界」という分類の、その奥にもう一つ世界があったのです。それが「ない世界」=「カムの世界」です。「見える世界」と「見えない世界」合わせて「ある世界」つまり現象として現れた世界なので、「カタの世界」と言います。 

 

ない世界(潜象界=カムの世界)からこの現象界(カタの世界)は生まれ、またそちらへ帰って行く。この二つの世界の循環を天然循環と言います。私たちが存在する、この現象界の全てが、固有の周期で天然循環しているのです。

 

ない世界(潜象界)は響きの世界であり、いのちの元となる世界です。そして、そこから生まれるある世界(現象界)はいのちの世界であり、いのちは全て響き(固有の振動数)で出来ています。

ない世界からある世界が作られるとき、質的転換(ナ)が起こり、歪みが発生します。現象界は歪みがあることが前提の世界なのです。現象=歪みなのですが、人間が手を加えない自然界は美しい歪みの世界です。

 

自然界のいのちを人知で歪めてしまうことを人工といいます。人工の世界は、人間が創り出したカルマで、元が何だったのか分からなくなるほどに歪んでしまっています。この様にして歪められた作物の生命を、元の響きに返していく(質的転換を起こす)のが、然循環法なのです。

 

右の図を見ると、全ての農法がどういう仕組みの元に成り立っているのかが一目で理解出来るようになっています。

木の花でも、有機農法、自然農法を経てやっと農の神髄である天然循環法にたどり着いたのです。

「農の神髄とは、農を超えることにある」 このことについて、これからお話しします。


「農」とは宇宙の法則や本来の生命力を曲げたもの

「農」という字には、「天の法則や生命力を曲げたもの」という意味があります。言葉の成り立ちをひもとくと、言葉の奥に人間の思いが秘められていることが見えてきます。こうしてひとつひとつの、思いを検証していくと目から鱗が落ちて、真実が浮かび上がってきます。

よりたくさん収穫する、作物をよりたくさん売る。こうした人間のエゴの思いは、純粋なカムの響きを引き出せないのです。

天の法則で生きることと、自己中心の理屈で生きることは、真逆であり、世界を捉えるときに解釈の逆転現象を生み出します。

私たち人間は、大きな勘違いと錯覚の中で、宇宙を逆立ちして旅しているようなものなのです。

天の法則に沿えば、その一員(細胞)である一人一人のいのちが、本来の働きに目覚め、真に生かされ始めるのです。



「農業」と「百姓」の違いを理解しよう・・・・百姓は自然を通して真理を探究するもの



自然循環から天然循環へ・・・・その違いを理解しよう

自然は自我がしかるべき状態になったもの。天然は天がしかるべき状態になったもの。

カタカムナ的に表現すると「ある世界」の中の循環が自然であり、「ある世界」と「ない世界」にまたがった循環が天然循環です。

天然循環は、「響きの世界」と「命の世界」という二つの異なる世界を循環するので、その循環には質的転換が伴います。

自然循環では、かすやゴミが発生し、たまってくるので、バランスが崩れ自然の中では修復不可能になったときに、

天然循環して、「ない世界」にいったん返る(分解される)ことによって、全てのものは生命力を持続させていくのです。

天然循環するサイクルは、鉱物、植物事に、動物など種類によって違ってきます。

鉱物のサイクルは何万年~何億年単位、樹木のサイクルは何千年単位、水の循環はとても早く動物は短期間で忙しく

行ったり来たりしています。

現代の人々に、この現象界の奥に「ない世界(潜象界)」があるということがカタカムナを通して、認識される流れが来ました。

現代科学では「ない世界」は捉えられないので、科学的に捉えられなず、証明できない世界は存在しないとしてしまいます。

また、多様性溢れる世界を一律・単一なものの見方(浅い平等観)で運営するので、全ての個性的な存在が生かされないのです。

こういった、浅くてザルのような科学的見方にほとんどの人が洗脳されてしまっているのが現状です。

そういう狭い視野でこの世界を運営した結果、地球温暖化などの深刻な問題を突きつけられています。

天然循環は、無限のエネルギーの循環の中に有り、質的転換の連続なので、ゴミやかすは全て分解されてない世界に還元されます。

ない世界を感知で来るのは、「こころ」「直観」なので、天然循環を理解するためには、心を磨き、直感力を育む必要があります。

そして、天然は人の「こころ」を感じとり、間違いなく人の心に反応した現象を起こします。

この違いを、知識ではなく、現象を観察する中から、細胞で感じることが大切なのです。



どうやって元の響きを復活させるのか

日々の心磨き  日々心を磨く事で、人の意識の中に、元の響きの世界を感受する能力を開花させることができます。木の花ファミリーでは、何をおいてもまずは心を磨き、心を作ることを大切にしています。

「畑を耕す前に心を耕せ」を合い言葉に20年間やってきました。

心が美しくなっていけば、直感力も磨かれ、天然の響きを感受出来るようになります。すなわち全ての命との対話が可能になって行くのです。

 

カタカムナ奏上  カタカムナのうたいは、宇宙の発生、発展、消滅を48音の響きで表現しています。一つ一つの音に深い意味があり、このうたいを日々響かせることによって、植物も人間の心も歪みが解かれて、元の響きのように美しい姿に帰ってゆきます。これが場をイヤシロチにすることになり、イヤシロチで行う作物栽培がが天然循環法なのです。


人工的に歪んだ世界と、歪みをとってリセットした世界の違い

人工的に歪んだ世界では、全ての分野において歪身が表現されています。人間は、日々惰性で所業にうつつを抜かし、自己中心の狭い世界観から抜けられずに、天然の法則の中に有りながら、その法則からどんどん外れ、自己中心の歪んだ社会の現状を作っています。自分が歪んでいることにもなかなか気付けません。

これは中心を貫く大本の心(宇宙の意志)が忘れられ、人々が「自分さえ良ければ」という自己中心の心に支配され、天然の法則から外れた状態です。法を外し無秩序に陥っていることが、自由だとはき違えている未成熟な状態です。

心を磨いていくうちに、歪んだ人間の姿も、天然の法則も見えてきます。これが気付きです。

その気づきの上に、自らの心を天に向けて、未熟な心を超えて、天の意志に沿って生きていくのだという意志を持てば、人の心に一本筋が通り心が正されます。

この意志を持って、行動していくことで、全てのものごとが正しく配置され、正しく働き始めます。それが天然循環の姿です。

 この世界が天の意志によって運営されているということに気がつけば、この世界で生きることの全てが、神との出会いであり、喜びなのです。



自然界の働きの奥に、天然の意識・法則がある

地上にいるものにはなかなか天の理は見えません。地上で経験を積み重ねる中から、徐々に意識が上がってゆきます。これを経験の理といいます。また、天から直感が降りてくるということも常に起こっていますが、直感の元に天の理があります。

下から経験を積んで天に昇って行く地道な道(仏の道、昇り龍)と、天から直感が降りてくる道(神の道、降り龍)と、方向の違う二つの道が一人の人間の中で同時に働いています。修行や瞑想、知識を仕入れることなどバーチャルでインスタントな手法では、天の理にはたどり着けないのです。


天然循環法=直感農法・・・・心磨きが基本です